なにが正しくてなにが間違っているのか?なんて考えるだけムダ

どうも!プロ引きこもりのヒキコモリズム井上(@luckyman0302)だ。

インターネットの世界にも、現実の世界にもさまざまな意見だとか考え方がある。この世の中はそいつらのせめぎあいだ。なにが正しい。これはまちがっている。そうやってAかBかの間で揺れ動きながら、一定数がなんとなく決めている落としどころが、世の中のルールであり常識と呼ばれるものになる。

でもぼくは、そういうのってナンセンスだと感じてる。そういうのがあるから、いつまでも人はもめて誰かに傷つけ傷つけられて、誰かが虐げられていくのだ。

なにが正しくてなにが間違っているのか?という問いは存在しない

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そもそも、正解と不正解、正義と悪、常識と非常識…などというAかBか論がそもそも存在しないものだっていうこと。

  • サラリーマンか?フリーランスか?
  • 学校に通うべきか?いく必要はないか?
  • ブラック企業は悪か?正義か?

世の中はどれも白黒をつけたがり、白じゃないほうを徹底的に叩く。黒は許されない。黒と認定されたら、本当は白でもバッシングをうける。しかしその白か黒かは、ものすごい主観的なものまたは客観的主観によるものなのだ。

けっきょくその白黒は「そいつにとって白」であり「あいつにとっては黒」みたいな世界なのだ。で、白が多めだから「じゃあ白なのかな?」と流される人がさらに大多数いて、そこで白は白になっていく。しかし黒が大多数になればその黒は白になるのだ。まるでオセロだ。

殺人は悪なのか?

さて、極論でいってみよう。世の中の絶対的悪とされる殺人は実際どうなのだろうか?

ぼくは基本的にメディアで殺人の情報があっても、その犯人とされる人物が悪だとは思わないようにしてる。というか思えないのだ。もちろん、人を殺すことはいいことではない。誰かの命を奪ってるからだ。でも、そこには理由というものがかならずある。

  • もし、この人が殺人をするまえに実は表に出てないだけで殺人の被害者だったら?
  • もし、この人が、この人が殺した人にとんでもない精神的苦痛を強いられていたら?

ぼくはその可能性があることを消せない時点で、悪だとは思えないのだ。世間が悪だと言っていても。もし前者の理由で、誰かの仇討ちだったとしたらそれは正義ともいえる。少なくとも仇討ちしてほしいと思ってる人にとってはヒーローだ。

でも、仇討ちされたひとも、実はまた別の場所で同じ境遇だったかもしれない。

戦争では殺人は正当化される

日常では絶対悪と扱われてる殺人でも、戦争などの有事の際には正当化される。それどころか敵を殺せば殺すほどヒーローになる。昨日まで「ダメ。ゼッタイ。」だったことが「超いいね!」になるわけだ。

それくらい価値観だとか正義だとか悪だとかの概念というのはころっと変わる。天気のように。子供の気分のように。

それなのに、なにが正しくてなにが間違ってるか?を考えたり論じたりっていうのはまるで意味のないことだと思わないだろうか?

けっきょく、その人の価値観や存在する環境次第でいくらでも変わる

例えば売春だって、一般的は非行=悪とされているけど、それをやってるから救われるひともいるわけだ。そうしないとどうにもできない生活苦の家庭は、それをすることでどうにか生きていけてることだってある。この状況下ではそれは悪とはいえなくなる。むしろそんな生活苦の家庭を出してしまってる環境が悪だ。

例えばサラリーマンかフリーランスかだって、ひと昔まえはサラリーマンが正解だった。なぜなら時代的にそれが一番賢いワークスタイルだったからだ。でも今は終身雇用が破綻して、フリーランスになるほうが将来性があるといわれている。でも、これはまた入れ替わるかもしれないし、どっちも間違ってはないのだ。だいたいこの論も、どっちかに在籍してるひとが自分の価値観を守りたいがために片方を持ち上げてるにすぎない。

ブラック企業だって、悪と言われてるが、それがしたい仕事の人が多い場合はそれは正義になる。「こんなやりがいのある仕事ができてうれしい!」という人しかいない場合、1日16時間労働であってもそれは正義になりうる。それを「ブラックだ!」といって禁止したら、喜んで働いてる人が悲しむ=悪なのだ。

なにかを正義だということは、誰かにとって悪たりうる存在

白黒はっきりした論調のほうがビューワーは増える。おもしろいからだ。

でもそれは非常に馬鹿げている。なにかを正義として掲げるといことは、相反する存在を同時に影におとしてしまうこととなる。そこに悪意があろうがなかろうが事実としてそうなるということだ。白黒つけるとはそういうこと。白は黒があるから白になるわけで、一面真っ白な世界ではそれは白なのかどうかすらわからなくなるのと同じだ。光は影があるから認識できるのだ。

つまりあなたがなにかを正義だ!と掲げるということは、同時にあなたはだれかにとっての悪となりうるわけだ。

そうやって、せめぎあいが生まれ、なくならないから、いつまでも大小あれど人は争う。で、勝者と敗北者にわかれ、それがまた波紋を呼ぶ。

でもそれはすべて意味のないものなのだ。大事なのはなにが正しく間違ってるか?ではなく、あなたがなにを信じるのか?だけだ。正しいや間違いなど一切ない。物事や事象はすべてニュートラルで無意味なもの。それに意味をつけて色をつけるのはあなたなのだ。

あなたはなにかを否定することなく、賞賛することなく、比較もすることなく、ただ自分の信条だけを頼りに生きていけばいいんだ。

>>物事はすべてニュートラル。どれも正解でどれも間違いだ。

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