プロ引きこもりのヒキコモリズム井上(@luckyman0302)だ。
ここ最近、こんな言葉をやたらよく見かける。
- 人生のコンテンツ化
- 周りと違う人(カリスマ)になれ!
- 希少性が大事だ!レアカードになれ!
「なんて意識高い言葉たちなんだろう…」と毎回思ってる。意識低い系を名乗ってる人がこれを言ってるから「意識高いの?低いの?」と疑問に思ったりもしている。そして、ぼくはこんな言葉に疲れてしまった。
もちろん、過去に「俺は海賊王になる男だ!」ばりにそういうのを目指してた時期もあるんだけど、なんか疲れてしまったのだ。そして最近ぼくはカリスマになることをすっぱりあきらめた。もうめんどくさい!
この記事は意識高い系疲れを起こしてるあなたに向けた記事だ。
Tips
ぼくはカリスマにはなれない。なりたくない。
個人が輝く時代だから、だれもがワンピースのルフィよろしく、ヒーローのような存在になれる。目指せる。そしてそういう人がもてはやされる時代だ。
もれなくぼくも、どうせならルフィになりたい!と思っていた。けど、最近なんかそうでもなくなってきたというか「あ、しんどいなこれは」と思ってきた。同時に「めんどくさいな」とも思ってきたわけだ。いいとこブルックらへんのポジションがほどよい。
そう思った理由を3つほどまとめる。
「希少性」や「周りと違うことをする」という言葉のありきたり感
なんというか、みんなこんな言葉使いすぎじゃね?と。
- 希少性
- 差別化
- 100万人に1人になれ
- レアカード化
- 周りと逆のことをする
全部「希少性を持て」ということなんだけど、言い方が違うだけでこういう言葉が今の世の中にはありふれてる。希少性という言葉がもはや希少じゃなくて、言葉がチープ化してる。コンビニのレジ脇にありそうなレベル。
フリーランスになりたてのころは「そう!希少性!大事だよね〜」とか思ってたけど、今は「あーはいはい。希少性ね。うん。」みたいな。
希少性を求めた先に待ってるもの
希少性を求めて、周りと違うことをしたとする。でもその先にあるのは、周りと違うことをしてきた人の群れなんだよね。
- サラリーマンはダメだ!フリーランスになろう!→フリーランスいっぱいいるワロタ
- みんな仕事してるから遊ぼう!→遊んでる人もいっぱいいるワロタ
- 日本を出よう。海外に行こう!→海外在住者いっぱいいるワロタ
みたいな。
そもそも論として「希少性」なんていうものは、今自分のいる集団の中でしか判断の軸がないわけで。そこに逆張りしたところで、結局その先には別の集団があるわけで。
だから数分野の組み合わせをしよう!という考え方がうまれるわけだけど、そこまでして希少性を求める意味ってなんなんだろう?と思うわけ。なんか希少性の演出をがんばりすぎてよくわかんない状態になってる人もいっぱいいるじゃない。
そんなに周りと差別化をしたいのか?と。そうでないと勝負できないのが、逆におもしろみがない。それっていわゆる自己顕示欲を満たすがためだけのものになってないか?と。
そもそも、今の自分の中に希少性ってものはないのか?同じ人間っていないんだよ?そんな無理して「俺ほかとちがうんだぜw」ってアピールすることが希少性だとしたら、まるで小学生のようじゃないか。「見てみて!パパが海外でこれ買ってきてくれた!いいだろwww」的な。
人生のコンテンツ化?なんだねそれは。
コンテンツ化するための人生ってなんなんだ。言葉尻はかっこいいけど。でも、最近違和感を感じてならない。
人生ってそもそも偶然の連続で、あとでそれが「たまたま」結びついて物語っぽくなるものだとぼくは考えてる。わらしべ長者みたいに、偶然に偶然が重なっておもしろくなった的な。海外にいったらたまたまおもしろい僧侶にであって人生感変わってそのまま弟子入りしちゃって…みたいな。
人生をコンテンツ化する<人生はコンテンツになってる
だと感じるのだ。点と点が線になって、それが集まって絵になって…という。これをあらかじめコンテンツ化前提で生きてるのって、それはいわゆる打算だとか出来レースだとかそういう類のものになる。それっておもしろいのか?と。演技じゃん。演出じゃん。台本じゃん。
すでにぼくらの人生ってコンテンツになってるものだよね、と。さっきも書いたけど、誰ひとりとして同じ人生を歩んでないし、その中で酸いも甘いも経験して、各自の価値観とかが熟成されていくわけでしょ。
コンテンツ化しようと気張らなくっても、勝手にコンテンツになってるよ。なんでそんな「人生をコンテンツ化!コンテンツ化ぁぁぁあああ!!」って躍起になってるんだろう?と傍目にみて感じてる。
自分の人生に自信がないの?と。主観的にみたら自分の人生はおもしろくないかもしれないけど、客観的にみたらけっこうおもしろかったりするんだよね。そんなムキになんなくても、コンテンツになってるから安心したまえと。生き方がプログラミングされたロボットじゃないんだから。
意外と脇役も楽しいものだとわかった
独立したてのころは、自分がまえに出ることに快感を覚えていたんだけど、ここ最近は誰かの背中を押す役回りが増えてきた。それをやっていく中で「カリスマ的な人をつくる」方がおもしろいな?と感じ始めた。
自分と関わった人が、どんどんまえにでて活躍して結果だしていくのってやってみるとすごいおもしろい。「ああしてこうして、こうなったらこうして…」とプランニングした通りになると、ものすごい快感なのだ。なんだろう、闇に潜むフィクサー的な。影の立役者的な。ただの厨二病だけど。かっこよくない?
ドラマでも、名脇役がいるから主役が際立つんだよね。SMAP全員が同じドラマにでてると、誰も引き立たず終わるでしょ。光は闇が大きいほど輝くわけで。大御所ってけっこう脇役が多いでしょ?実は力ある人だった…みたいな。そういう存在の方が個人的におもしろいなと。
主役(カリスマ)は満たされるけど疲れる
目立つ存在は、自己顕示欲は満たされるし、お金にもなりやすいし異性にもモテる。
でも同時に、多くの目に触れることでしんどくもあるな…と経験してみてわかった。あることないこと言われたりもするし、実力以上の評価をうけてすごいプレッシャーになったりもする。同時になんかあった際のネガティヴキャンペーンも大きくなる。
大物女優が不倫したら犯罪者ばりに大騒ぎだけど、そのプロデューサーが不倫しても誰も騒がないでしょ?
主役はつかれるのだ。そうなるまでも、なってからも。多くない?まわりから賞賛されるために「デキる自分」でいるのに必死な人。そういうの、めんどくさいなってぼくは思う。
みんながカリスマになれるわけではないし、なる必要もない。
カリスマだらけの世界はつまらない。人類みんなレディ・ガガだったらどうよ。希少性もクソもないでしょ。人生だってそうで、カリスマになる必要なんてないわけだ。カリスマはなる人がなってくれる。
時代がその流れだからって、無理してそれにのっかる必要性はない。みんなが主役を目指すなら、その中でひっそりと名脇役になればいい。「なんかあいついつもでてくるよな?誰だ?」ポジション。多くの人がカリスマに憧れるならそっちの方が競争率も低いしね。
さらにいえば、名脇役かつカリスマの名プロデューサーになったら一番おいしいわけで。
自分の人生がコンテンツ化できないなら、他人を使えばいい
先に書いたように、ただ生きてるだけでコンテンツにはなってるし、希少性だってある。何回もいうけど、そもそも同じ人間いないわけだ。同じ人生もないわけだ。すでに差別化されてるし、1/70億の確率に生きてる時点で希少性しかないでしょ。
自分のいる集団から目を離せば、すでにあなたは特別で希少でおもしろコンテンツなのだ。
そして、もしそれでも「自分はおもしろくない」と思うなら、名脇役になればいい。またはおもしろい人を作ってその人をコンテンツ化してしまえばいい。世の中一番息が長いのはそこだ。AKB48よりも秋元康さんの方が息が長い。ワンピースはルフィがすごいのではなく、ルフィを作った尾田栄一郎さんがすごいのだ。
カリスマになるのなんて、やめてしまえばいい。ぼくはそう気付いた。
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