自由であり、幸せであるためには「特別である」必要なんてない

どうも!プロ引きこもりのヒキコモリズム井上(@luckyman0302)だ。

いつだってそうだけど、人は自由になるために、幸せになるために自分を必死で変えようとする。自由や幸せはなにか特別なことかのように、特別な自分になろうとしたり演じようとする。でもちょっとまって。それって必要なの?と問いたい。

ぼくは、自由だとか幸福感だとかは「なり方<あり方」だと思ってる。ちょっと立ち止まって、そもそもあなたは自由でも幸せでもないのか?と考えてみてほしい。

そもそも、自由とはなんなのか?

Google先輩に聞くとこうだ。他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。と。

そう、自分の思うままにいきることができれば、自由なのだ。そういうと「いやいや俺は縛られてるし!社畜だし!」という声が聞こえて来るんだけどちょい待って。その選択をしたのって他でもない自分なんだよね。

自分で選べるって、自由じゃない?その選択は、他からの束縛は受けてないはずだ。自分で自由に選んでたはずだ。その自由の結果、一部が不自由なだけであって、大きな目でみたら結局自由をすでにてにいれてるわけだ。

日本人はそもそも圧倒的自由だ

この国にうまれてる時点で、自由だ。

学校も選べて、服も選べる。今日何食うかも選べて、仕事も選べる。よーく考えると、そもそも自由ではないだろうか。これ以上の自由があるだろうか?

ぼくはタイや台湾に行ったことがあるんだけど、そこではこういう人がたくさんいた。

  • 体を売らないと生きていけない
  • 路上で物乞いをしないと生きていけない

みたいな人だ。もちろん、日本にも一定数はいるだろうけれど、海外に比べるとかなり少数だろう。生まれたときにすでに選択肢はなく、将来はタコ部屋で働く…売春して暮らすことが決まってるなんて人はほぼほぼいないはずだ。

どんなに貧しくても家はあり、通院もでき、食べ物はあり、交通インフラは使えてるはず。いろんな選択ができるはずだ。中流以下の家庭に生まれても、学校も仕事も選べるでしょ?もちろんお役人とかは無理にしてもね。

ぼくら日本人は、自由の中に生まれてるがために、今ある自由を不自由だと思い込んでるだけだ。

日本人はそもそも特別だ

こんなにインフラが整っていて、治安がよく、平均的に生活水準が高く、サービスは安価で高クオリティ…っていうのは世界でみたら超絶特別だ。

海外では、インフラがそもそもなかったり、ネット回線が急に止まったり、停電になったり、街を歩いてたらなにかに巻き込まれたり、サービスが悪かったり…などは都市部と言われてる場所でもあったりする。

なににおいても日本はレベルが高く、世界からも注目される特別な国だ。この国に生まれてるぼくらは、そもそも特別感を享受してるといっても過言ではない。そもそも、こんな恵まれた、特別な環境に身を置いてる時点でぼくらは特別だろう。

ぼくら日本人は、特別が当たり前になりすぎて、さらなる特別を求めてるだけだ。

ただ自由で幸せであるためには、特別になる必要なんてない

これは、ぼく自身が今は少しゆとりある生活を経験したからこそ言えることなんだけどぼくらは別に特別になる必要はない。

  • 人とちょっと違う人生を歩みたいと思うことも
  • 周りの人生をつまんねえと卑下することも
  • 誰かと比べて優越感や劣等感を感じることも

一切必要ないのだ。実際、ぼく自身、他人からみたらおもしろみのない人生を歩んでるけど十分幸福感もあるし自由だなって思う。

もちろんそれは小さいころに底辺層の生活をしていたから身をしみて感じるんだけどね。

  • 毎日おいしいお米と味噌汁が飲めて
  • 達成感や承認欲を満たせる仕事があり
  • 雨風しのげる家があり
  • 家族や趣味に使う時間があり
  • 健康でいられる

これで十分幸せで、自由で、特別なんじゃないの?とぼくは思う。今ある当たり前が、夢だった時代も、国もあるわけじゃん。それ以上の特別って一体なんなんだろうか?神にでもなりたいのだろうか?

さらなる特別だって、結局は井の中の蛙だ。

たとえば、組織でなく個人で自由に生きてるって場合でも、結局はなにかのルールには縛られてるし、大きな目でみたら別に大差ないのだ。月収が100万円あっても、別に人生レベルは大差ない。大きな会社を作っても、大差ない。

そんなちょっと普通に毛の生えた程度なんてのは、地球からみたらミジンコ以下の特別感だ。ぼくがどんなに特別感を感じてても、地球の裏側ではなんの変化も起きない。バタフライエフェクトが起こるほどのものでもない。

そう。ぼくらの感じてる特別感ってのは思い込みなだけで、結局は井の中の蛙なのだ。

人生たかが70年のために、そんな特別になりたいか?

たとえばスティーブジョブズのように、歴史に名を残す人になる可能性もある。でも大多数の人はなれない。現実的にね。

たった一度の人生、人とは違う人生でありたい…と思って努力するのはとっても素敵なことなんだけれど、でもそれに必死になるのも幸福感少なくなるよね。人生いつ死ぬかもわかんないわけだし、動物としての欲求を満たしてる方が幸福感を感じられる。

夢の途中で死んで、死ぬまぎわに「なんかもっとこう…ゆるく生きてればよかった」と考えても遅い。

人間なんて所詮犬猫と同じ動物でしかないんだから、幸せ感じるときなんてうまいもん食って、たっぷり寝て…などそんなもんだ。どんなに大きなことをしても、そこが満たされてなければそれは幸せとはいえない。

動物は他と競わない。ただ飢えずにいきてることそのものが喜びなはずだ。人生なんてものも、それで十分幸せは感じられる。なんか、ヒーロー物語に影響されすぎじゃない?って感じる。

こんな普通でいられることが、すでに特別で、かつ自由なのにもかかわらず、ぼくら人間はそれ以上になにを求めるんだろうか。

一生懸命いきるのもいいけど、もっと気を抜いてゆるく生きてもいい。よーく考えると、けっこう幸せも自由も感じられるよ。

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