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葬式なんていらない。死人にお金と時間をかける意味w

どうもいのぴーです

突然ですが、あなたまたはあなたの家族がなくなった際、葬式は必要だと思いますか?

高い金をかけ、親族を集め、同じ服装同じ場所同じ時間を共有し「あいつはあーだったこーだった」などという日本のしきたりである葬式をしようと思いますか?

ぼくは、完全に葬式なんていらないし金と時間の無駄だと考えています。

「死人を冒涜するなんてサイテー!人でなし!!」

って声が聞こえてきますね。

でもちょっと待って。

なんでそう思うの?

この記事では、いかに葬式なるものが不要かと熱く語ります

そもそも死とはなんだ?葬式とは?

結論から言えば、死=生物共通の終着点であり、それ以上でも以下でもない

シンプルに言えば、生き物がただの肉の塊になるだけという。

ぼくら生物は、数兆個の細胞や水分がいい感じにくっついた、いわば肉の塊であります。

そこに、脳の機能として、オプション的に感情や意識、記憶などが付加物としてくっついたことにより、ただの肉の塊が「生物」になるわけです

生とは、マッマとパッパが合体した結果、お互いの種がこれまた合体して受精卵という小さい細胞(この時点ではただの細胞)になり、細胞分裂しまくり肉の塊になり、おぎゃっと生まれた瞬間に感情や意識が生まれることにより始まるイベントです

いわば細胞の異世界転生です

死とは、単純にそのイベントがおわり、生物から肉の塊、そして分子に還元されるというだけのものです

人間は、ただ生物が肉の塊に戻っただけの生物として当たり前の帰結に、なにかしらの感情的理由をつけてイベント化、ビジネス化します

それが葬式であるわけです

お祭り好きな人間の性なのでしょうか。

たかが死なのに、葬式はなぜ行うのか?

そんな単純な生物として当たり前の現象に、なぜ人は大金と時間をつかって葬式なるイベントを行うのでしょうか?

これはひとえに、

  1. 伝統というステレオタイプによる思考停止
  2. 感情的な充足感を感じるため
  3. 輪廻転成=死後の世界を信じているから

なのかと。

昔から人は人の死を尊び、弔うことをよしとしてきました。戦争ではずっこんばっこん人を殺すのに

これは映画や漫画でも当たり前にかかれるシーンですね。人が死ぬ=葬式をするという方程式はもはや生物が息をするレベルで「当たり前」になっています

なので、もはや条件反射的にやってるのだと。やらなければいけないという謎の思い込みがあるのだと。そう思いますね。(本田圭佑風に)

でも、知ってますか?

法的には、人が死んだらやるべきことは役所に死亡届だすだけなんだっていうことを。

そう、死亡届をだせばOKなんすよ。べつに。

あなた「家族がなくなったのでこちら死亡届です」

役所「御愁傷様です。書類処理ぃぃぃいい」

以上。これが人の死の実態であり、葬式やれ!という縛りは一切ないのです。

しかし「葬式はやらねばならぬ。参加せねばならぬ」となっている不思議。

結局、葬式は感情的なサムシングを感じたいお祭りである

遺体は埋葬しないとダメですよ。火葬して遺灰にしてっていう。

さすがに死亡届だせばいいいうても、お家の庭に遺体を放置したりしたらそれは遺体遺棄になっちゃいますし。

で、本来人の死というのは

  1. 死亡届一枚
  2. 遺体を燃やす
  3. 納骨または遺灰の処理

で終了なんですが、それでも高い金と時間かけてダラダラと葬式をやる理由。

それはしきたりによる惰性でない場合は、死を哀れむ感情的満足度を遺族が感じるためなのかな、と

  • あいつはこーだった。あーだった
  • 死を哀れむ私ってなんていい人なの
  • ナンカイイデアイナイカナー

的な。

だってそうでしょ?

故人はもう意識もなけりゃこの世にいないんすよ?

どんな大枚叩いて盛大に葬式やっても故人ご本人はなにも感じないわかんないわけです。

それって感情のない人形相手に恋心抱いて結婚指輪わたしてるのと全く同じじゃないですか。やってることが。すげー空振り。

結局のところ、故人のためってよりかは遺族や知人の同窓会なんですよ。

だから未亡人を口説こうとするバカもわいてくるし、結局は酒によって騒ぎ出したりもするし、遺産相続での激しいバトルが裏では始まってるわけですよ。

本当に故人のことを思うならば、そういうことは起こらないわけです。

そして、故人はもう感情も意識もなくしてるのに、葬式をやりたがるのは、感情的な部分をのぞくとしたら、、、

輪廻や死後の世界を信じてるから

はい、スピ系です

結局、死後の世界がある、魂が存在する、輪廻があると思っているから「葬式やんないとバチがあたる」と思うわけです

でも、その死後の世界の存在って本当にあるの?

ぼくは、99%ないと思っています

死んだら急に異世界転生してスライム…じゃなくてべつの人生が始まるなんてご都合展開はありえないでしょ。死んだら無です。無。死なないとわかんないけど。

いや、あるかもしんないよ?

あるかもしんないけど、でも葬式やったところでそんなもの故人には届かないわけですよ。干渉できないもの。

葬式とは、必要性と感情をダシにしたビジネスである

数百万円かけて棺を用意し、斎場を予約し、遺体をおさめ、霊柩車で移送し、何妙法蓮華経を唱え、黙祷を捧げる…

で?で?それやったらどうなるのん?

故人がわーいわーいするの??それって確認できるの??

そのお金で、お坊さんだとかは無税で儲けて高級外車とか買うだけなのに??

もし本当に死人と尊ぶ善意で葬式なるものが開催できるならばそんな大金いらないと思うんだが。

人の死がメシウマなところに大金をお納めする意味とは。

いやまあ、経済が回るのでいいと思いますよ。うん。でも、それだけですよね。うん。

父は言った。「死んだ人間に金と時間をさくなら、生きてるお前らや子供のために使え」


先日、還暦をむかえた父に会いにいきました。父は今から終活をはじめてるようで、死の話になったのです。

そこで見出しのセリフを言われたときに、ものすごいシンクロニシティを感じました。

ぼくも、葬式なんてやる意味感じず、実の親が死んだ時、または自分が死んだ時どうしようか?とちょっと悩んでいたからです。

惰性でやってもいいんです。でもぼくは葬式に価値を感じないので、イヤイヤやるのもなーと。イヤイヤやる葬式ってなに?っていう。

そこで父が同じようなことを考えてたのを知って、おお!と。

もちろん、人間の価値観は多種多様ですし、葬式をよしとするのは否定しません。死に感しての捉え方もそれぞれです。

が、ドライに考える族のぼくとしては、人間の死なんてイベント化するほどのことではないし、葬式なんてまやかしでしかないと思ってたので。

そんなものに時間をかけるなら、これからを生きる自分や自分の子供にそのリソースをさくほうが未来にアプローチできます。

逆に言えば、父には「遺産は残すな。死ぬまでに存分につかってすっからかんで去れ」と言いました。あ、母の分は残しておいた方がいいけれど。

ぼくには姉がいますので、遺産がどうこうってのもめんどくさい。自分の資産や金は自分の代で使い切って仕舞えばいいと思います。

もちろん、長生きして欲しいし、死んだらそれなりに悲しいとは思います。

が、その悲しいという感情と故人との記憶を存分に噛み締め、ただひっそりを見送ればいいのだと想うわけです。

故人の死を想うのに、葬式はいらない

結局のところ、死に感しての想いってのは千差万別です

喜ぶ人もいれば、泣き崩れるほどの悲しみを感じる人もいます。

笑って見送りたい人もいれば、涙をながすひともいるでしょう。

大事なのは、みんなで集まって葬式というイベントをすることではなく、各自が各自の想う気持ちと、故人との想い出をかみしめて「ありがとう、お疲れ様」とそっと見送ることではないでしょうか?

各自で、勝手に、見送ればいい。それだけでよくね?って思うわけです。

笑って見送りたいのに笑えない葬式

似たような体験をしたことある人、いるんじゃない?

死は悲しいこと。それはまあわかるけど、だからといってみんなで泣けばいいってわけではないでしょう。合唱コンクールかって。

「おつかれ!」って笑って見送りたい人もいるでしょう

でも式場で笑おうものなら、不謹慎と言われるのです

同調圧力や義務で行う葬式は、本質的なのでしょうか?

みんなで悶絶した顔しながらえぐえぐいえばそれがステキな見送り方なんでしょうか?

うわああああああ!!なんで死んだんだああああああ

とか演技すればいいんでしょうか??

それをみてまた涙するんでしょうか?ドラマかって。

そんな一連の流れを見て「こんなに泣いてもらえるなんてあの人は幸せだ」とかいうんでしょうか?

いやだから、それ、本人みえてねーから!!

思い込みだからそれ!

幸せなのはそんなドラマみたいな悦にひたってるお前の脳みそだから!

なんかおかしいよね。葬式って。なんかズレてるっていうかなー。

以上、葬式なんていらないって論でした。

もしやるとしても家族レベルで告別式もなんもない小さなものをやればいいんじゃない?

無論、ぼくが死んだ時も葬式なんていらない。燃やして遺灰にして、旅行のついでにでも沖縄の海にでもばらまいといてくれ。

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