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お葬式は遺族のためにやるべきものだとしても、やはり葬式はいらない

どうもいのぴーです

先日、葬式はいらないという記事を書きまして、反響をいただきました。

その中でも興味深かったのがこちらのご意見。

葬式は故人ではなく遺族のためにやるものだよ、と。

おおーなるほどなと思いました。たしかに、ネットで叩いてもそういう声が多くも見つかりました。

  • お世話になったという人がどんどんきて面倒
  • 葬式は遺族のめんどうごとを一回で終わらすためのもの

たしかに!って思ってしまう意見の多いこと。

ただ、それでもぼくは葬式はいらないなあ。って思いまして。

やるかどうか?必要かどうか?には各自の価値観がありますし、ぼくはいっさい否定をするつもりはないです。

が、ぼくの価値観においては、葬式とはいらないものなのです

葬式は遺族のめんどうごとのためにやるものだというけれど…

遺族のめんどうごとってなんでしょうか?

昔っから葬式や結婚式なるものに一切参加も関心も示さなかったせいで葬式童貞なんですが、

  1. 故人と関係あるひとからのあいさつてきなものの多さ
  2. 周知のための手続き

とかそういう系でしょうか?

要は葬式とはこれらを一気にこなすためのものでもある、ということなのかな。

でも、ぼくは思うんです

あいさつとかご焼香とか線香あげるとかいるの?

お悔やみ申し上げるのは良いことだと思うんですけど、わざわざ言いにいく必要性ってあるの?と。

葬式はいらないの記事にも書いたけど、あいさつしようがしまいが、こようがこまいが、そこに故人の意思もクソもないわけで。

遺族にあいさつをしても、あくまで関係があるのは故人とその人の間柄であり、遺族にとっては「てか誰?」だったりしません?

たとえば、ぼくはぼくの父の職場の人を一切知りません。

父の親族にもめったに会いませんので、正直誰が誰だかわかりません。

なのにあいさつにこられてもなあ…と。

故人にあいさつしたいなら、各自の気持ちの中でそれこそ念仏のごとく唱えればいいじゃないの??

遺体にあーだこーだいってもそれは肉の塊じゃんね。

その「てか誰?」な人の「あいさつしたい」って気持ちは、そのてか誰さんの一方的に気持ちであり、故人や遺族がもとめてないのであればそれは押し付けになると思う。

もちろん、そういうのを求めてるならいいんですが。

ただ、あいさつしたいから葬式開きなさいってのはうーんっていう。

形のないものにあいさつしてどないすんねん、と

いやわかります。気持ちの問題ってのは。でも、性格上ぼくはおもってしまうんです。そのあいさつ、意味あります?って。

ご焼香やお線香をしたい

これも、気持ちはいいとして、その行為にまーったく意味を感じないのです

線香炊いたら?なに?故人がよろこぶの?それとも復活でもするの?

線香炊いて、チーンってして、手を合わせて話しかけて、それは故人に伝わるの?どういう原理なんそれ。テレパシー??

そうやって故人を慈しんでますっていう自己満以外の意味がそこには感じられないんです

気持ちの面を排除すれば、これは

  • お正月には年賀状をおくるべきだ
  • 2月3日には恵方巻きを吉方を向いて食う
  • 節分に豆まきをする

と同じ「理由は知らんけど昔からみんなやってるからやってる」ものと同じなんと違いますでしょうか。

結果として、それはその文化にこぎつけて商売やってる人が儲けてるだけなんだけどな、と。

いや経済回るのでいいことですけど。

ただ、本質的にその行為の意味とは、と。思ってしまいます。ぼくはね。

そんな意味のない行為をしたいがために、遺族のために葬式なんかやらせるなよ…

その行為に対する欲望は各自で処理しなさいよ、と。

本質的に意味のない、思い込みゆえの行為を知人の大多数が求めるがゆえに、遺族が面倒ごとを抱えるって構図がそもそもなんかおかしくない??

それじゃ遺族のため、っていうか他人のためのそれになってしまうじゃん。

故人や遺族を想うなら、故人や遺族の意思を尊重して自重すればいいのに。

(もちろん、遺族や故人が集まりたいならやればいいんですけど。しつこいですが、あくまでぼくはこう考えるって記事です)

たちが悪いのは、結婚式や新年の挨拶とちがってLINEとかですませらんないことよね。

LINEでお悔やみ申し上げますメッセきてもなんか反応に困るもんね。

将来的にはもっと葬式はラフになるんじゃないか

今はまだ昔ながらのアレがあるので葬式=重要になってるけど、僕らミレにある世代が死ぬ時はまた違った葬式の形になってそうな気がします

VRなどで葬式に参加できるかもしれませんし、誰かがなくなったらその繋がりがある人に一斉通知がいき、お悔やみの言葉がアーカイブされて…みたいなサービスが生まれてるかも知んないし。

ソーシャル葬みたいなんできるかもだし。

YouTubeとかのライブ配信でクローズドになんかやるとかもできるでしょうし。(そもそも葬式そのものに意味がないのでそんなもんでいいんじゃねと)

人間関係はどんどん希薄化または軽量化していく

ネットが発展して、人と繋がることが容易になったと同時に、個人的にはその関係性が薄くなってもいると考えます

軽く繋がれるからこそ、希薄。

気迫でなくても、軽量。

いちいち誰かが死んだからといって、大問題になるようなことはなくなるかと。

マイケルジャクソンとかそういうレベルの人だったら別ですけど。

死んだ時に葬式に多くの人が参列してくれる人生を歩みたい

って想う人は多そうです。

でも、それってその分遺族に面倒をかけるってことでもあるんですよね。

人から慕われるのはいいことですが、そういうのいらないという共有を生前からしておいた方がいいのかもしれません。

今後、そういう多くのファンを抱える人が増えるでしょうし、死ぬでしょうから。死んだ時にどういうアクションをとってほしいかをブログとかで発信したげましょう。遺族のために。

知んだ時に多くの人が参列に来る人生よりも、死んだ時に少ないけれどじぶんが大事に思ってた人が本気で想ってくれる人生の方がいいんじゃない?

どうせ、多くの人に参列されてもその半数は3年もすれば故人のことは記憶の奥底に風化させてますから。

と、死んだ時に、求めてもだれひとり参列しないであろうヒッキーが申しております。

い、いいんだよ俺はこれで。うん。

ほら、こうやって20代のころから死んだ時に遺族が逆にやることなくてビックリする仕込みをしてるってことでさ?

終活とかマジでセンスないよね。終活をするまえに勝負は決まってるんだぜ?日頃の行いが大事なんだぜ?

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