信用ってなんだろう?プロ引きこもり(@luckyman0302)だ。どうも。
最近はネット界隈では「現金ではなく信用を稼ごう!」という風潮があるんだけど、これってなんでなんだろう?ぼくにはあまりピンとこない。もちろん、人からの信用を得ることは大事なのは間違いない。でも、現金<信用という構図がぼくはモヤッとするんだよね。
今回は、この「信用を稼ぐ」ということに関して考察してみる。そしてぼくがそんな愚行はやらない理由もまとめておく。
結論:信用より現金の方が稼ぐに等しい
詳しい理由はあとでまとめるけど、とりあえず結論から。ぼくは信用も稼ぐけど、それ以上に現金の方を重視してる。その理由には以下のようなものがある。
- 信用はとてもファジーで不確実性しかない。現金の方が確実性が高い
- 他人からの信用=他人の感情=コントロール不可。現金は自分が持ってる分は基本的に自分でコントロールできる
- 現金は課税されるけど、課税額もコントロールできるし、基準が明確。でも信用は、課税されない代わりに、下手をすると課税よりも重たいペナルティを課される
- 信用を現金化(または別の何かに交換)するフローは、そもそも相手方に余裕があるから成り立つ
- 信用を積むために、フリーライダーの相手をする意味のなさ
- 性善説に基づく発想は信用できない
これらの理由から、ぼくは信用を信用してない。信用よりも現金の方が圧倒的に信用できる…という結論になった。
そもそもなぜ「現金ではなく信用を稼ぐ」という流れになったのか?
これは諸説あるだろうけど、こんなところだと感じてる。
- 現金を稼ぐことに疲れた人たちの逃げ道的な発想
- シェアリングエコノミーができたことによる、発想の変換(所有からシェアへ)
- クラウドファンディングなどの「マネタイズではないマネタイズ」の台頭
- 税額が上がっていっている
つまり、何かを販売して対価を得るザ・資本主義になってしばらくした今、物々交換のような社会=シェアの社会に回帰していってる感じ。
さらに現金は課税というペナルティがあるので、避けたいんだろうね。所得税がっぽし行かれるからねえ。稼げども稼げども税金も付いてくるよって。それは確かに嫌だよね。
特にでかいのは、シェアリングエコノミーの台頭だと思う。
シェアリングエコノミーが台頭したことで、所有疲れが顕著になった
車を持てば税金、稼いでも税金、家を持っても固定資産税…など、今までいいこととされてた「所有」の重い部分をより強く感じるようになった。シェアすれば、お金になるし、シェアしてもらえれば、買わなくても使える。この発想はとてもいいこと。
- Airbnbを使えば、空き家をリユースしてお金にもできる。
- カーシェアを使えば、免許があれば車を持たなくてもいい。
など、所有してる人→所有してない人への流動性を高めることで、所有してる人が抱える問題点も、所有してない人が抱える問題点も同時に解決できたってわけだね。
モノのシェアだけでなく、お金のシェアの発想も生まれてきた
それが最近はやりのクラウドファンディングだとぼくは捉えてる。これはお金がないけどやりたいことがある人に、お金はあって誰かを応援したい人が支援できるという素敵なプラットフォームだ。
支援者はリターンってものを貰えるけれど、これは別に価格に見合ってるか?といえばそうでもないことがほぼ。でも「応援したいから」支援するのであって、見返りは二の次であることが多い。これは出資でも融資でもない、新らしい形。
これが生まれることによって「稼がなくてもお金はどうにかなる」という文化が生まれた。言い換えれば「お金を投じてもらえる信用があれば、それをお金を交換できる」ということだね。
それ自体はいいことなんだけど、これにはトリックがある。
- 結局信用は交換して現物にしないとなんの価値も生まない
- あくまで信用をお金やモノに交換してるってことは、信用なくしたら終わり
- 「対価」を提供してるわけではないので、先方さんに支援する必要性は正直いって、ない。
ってこと。繰り返すけど、お金のシェアや信用を稼ぐという発想は悪くない。んだけど、ぼくはそれは愚行だと思ってる。その理由を、上記トリックに交えてここからまとめるね。
ぼくが「現金ではなく信用を稼ぐ」という愚行をしない4つの理由
ぼくは信用という概念を全く信用してない。信用を稼げばいつでも現金化だったり他のモノに変えられるっていう理屈はわかるけど、そこには先ほど伝えたトリックがあるから信用できないんだ。
絶対的に「現金isキング」だと考えてる。
「現金ではなく信用を稼ぐ」という愚行をしない理由① :信用はとてもファジーで不確実性しかない。現金の方が確実性が高い。
そもそも「信用」ってなんぞ?と。
目に見えないこの概念は、目に見えないだけに不確実性しかないとぼくはみてる。不確実性しかないってことは信用できないってこと。その信用の尺度ってなんだろう?信用が溜まってることを確認する方法は?
どのレベルまで信用を作ればいいのか?などと、全てに置いてあいまい。目の前の人が「本当に自分のことを信用してるか?」なんて、わかんないでしょ?かといって、
なんて言われても、
って反応しかできないでしょ。「いや別に信用してないよ?」といえばそこでその関係終わるっしょ。この点、現金の場合「信用」という概念はない。お金はお金でしかないので、信用してるしてない関係なく平等に1万円は1万円の効果を発揮する。確実性しかないよね。
これには以下の要素が大きく絡んでる。
他人からの信用=他人の感情=コントロール不可。現金は自分が持ってる分は基本的に自分でコントロールできる。
これ。信用とはいってしまえば感情だよ。感情とは揺れうごくもの。昨日の友が今日の敵になることもしばしば。この信用というものは、他人の中にある感情の一種なので、自分ではコントロールができない。
あくまで相手任せの状態になるもの。つまり、不確実性が強い。また、信用というのはいつまでも持たれることではなく、ヒョンなきっかけで一気に崩れるものだ。
信用の揺れうごきと、信用乖離率という概念
ここでちょっと図解を。以下の図を見て欲しい。
これはある人がある人に抱く信用の動きを図式化したものだ。+100~0~-100まである。これがマイナスに行くと、信用どころかむしろアンチ的になる。プラスに行くと信用しまくりのファンや信者の状態になる。このゼロライン(赤い線)より上にある状態が「信用が稼げてる状態」で、ゼロラインからの乖離率が、信用乖離率だ。100に近いとよくて、-100に近いとあかん。
「信用を稼ぐ」という行為は、この信用乖離率を上の方に上げて行くことになるよね。
でも、一時的に信用が100になって、もうファンや信者の領域になったとしよう。
ただ、この図だと、そのあとに乖離率は一気にマイナス圏に突入してるよね。この原因ってなんだと思う?もしこれが「何気ない一言」だったらどうだろう?どんだけ脆いんだよって思わない?
でも実際、こんなもんなんだよ。
例えばぼくでいえば、かなり信用のある状態の人がいたけど、その人に向けてないなんてことないツイートで一気にマイナス圏に突入し、一気にディスられる状態になったりした。ほんの1時間の出来事。
この程度の確実性しかないんだよ、信用って。その信用を稼ぐために時間をかけても、1秒でマイナスになるのがそれ。しかもマイナスになると、いろんな負の行為を働くのが人間。これを稼ぐって、アホちゃうんか?とぼくは感じてならない。プラスからゼロになるどころか、マイナスになる可能性もあるってこと。
結局、信用とは恋愛と同じなんだよ。恋は盲目。信用も盲目。冷めればなんてことないもの。長年付き合ってきた彼氏彼女と別れてしばらくすると「あいつの何がよかったんだろ?」って思うでしょ?そんな感じ。
そんな曖昧なものを稼ぐだなんて、愚行以外のなんでもないよね。
「現金ではなく信用を稼ぐ」という愚行をしない理由②:信用は、課税されない代わりに、下手をすると課税よりも重たいペナルティを課される。
現金は課税されるから、いつでも現金に変えられる信用を稼ごう!
こういう臨調があるけど、うっすいなあ…と感じる。現金は確かに稼ぐと課税される。でもこの課税額って明確な基準があるし何よりコントロールできるでしょ。課税されたくないなら、経費で使いまくれば結局同じなんだよね。
例えばクラファンで支援受けても、税法上は所得になるからね。課税されるから。信用も、現金化すればそれは課税される。行き着くところは一緒なんだよ。
また、信用というものは、間違うと課税以上の重たいペナルティーを課されることがある。
例えば、無料でおもしろいコンテンツを作ってくれてたはじめしゃちょーは、ちょっとだけ人間臭い部分を露呈されただけで今までファンだった一部の人が一気にアンチになり、リンチを始めた。その結果、ニュースにもなり、活動休止に追いやられた。
はじめしゃちょーの二股騒動での活動休止にピンとこない非ファンが思ったことを書こう
お金は失ってないかもしれないけど、悪意のある第三者によって、いろんなものを奪われ汚名を着せられたわけだ。信用はひっくり返るととんでもない悪意に変わる。それで課税以上に重たいペナルティー食らった人って、多いはずだよ。
ましてや、信用を担保に与えられてた人は、その信用を裏切った瞬間に飛んんだとばっちりを喰らう可能性がとっても高い。なぜなら、それは信用を担保に、与える方がいろんな負担をしてたから。
それを裏切った瞬間「あんなに応援したのに!」となるのが、人間。
繰り返すけど、お金に感情はない。信用乖離率は、ない。今持ってる1万円が、明日になったら急に「お前に使わす1万円はねえ!むしろ金払え!返せ!」とか言わないでしょ。時に人は課税よりも重たい負担を負わせようとしてくるんだよ。
「現金ではなく信用を稼ぐ」という愚行をしない理由③: 信用を現金化(または別の何かに交換)するフローは、そもそも相手方に余裕があるから成り立つ
これも結局、信用はコントロールできないってことになるんだけど、仮に信用があったとしよう。でもその人が「誰かに与える余裕のない状態」だったらどうか?ということ。
自分のことで精一杯の人が、他人のために身銭切ったりするわけがないよね。ってか無理だよね。借金まみれの人が、クラファンで支援する?しないでしょ。Amazonのほしい物リストからもの送る?しないでしょ。
信用を現金化…または別の何かに変えるってのは、それができる余裕のある人を相手にする場合のみ機能するんだよ。みんな自分のことが最優先なのね。つまりあなたのことは二の次な人たちの信用に頼るとか、めんどくさそうな匂いしかしないよね。
信用を積むために、クレクレくんの相手をする意味のなさ
で、信用を積む行為をすると、絶対的にこんな人たちが出てくる。自分はなんの対価も用意しないのに、とにかくあやかろうとするおバカさん。通称「クレクレ君」ね。この人たちは、とにかく持ってる人から搾取することだけを考えることしか能のない、能無しくん。
こいつら相手にする時間って、すんごいもったいないよね。しかも、クレクレくんでなくても結局信用を稼いだ結果、こっちからオファー投げても別に何もしないような人って、結局同じことだからね。
これも、信用を何かに交換できるか?は相手次第っていうところに起因する。現金なら、相手の都合関係なく価値は交換できるよね。どっちが使いやすいんだろうか?
人に聞く前に自分の頭で考えてGoogleに聞け(ググレカス)
「現金ではなく信用を稼ぐ」という愚行をしない理由④:性善説に基づく発想は信用できない
最後はこれ。
結局、信用がどーのこーのってのは性善説に基づくものなんだよ。でも、人はいいところもあれば悪いところもあって、基本的には「自分>>>>>>他人」が前提なわけ。どんな善人も、最終的には自分を優先するからね。
完全に自己犠牲してまで他人に尽くす人なんていない。
つまり人間は基本的に性悪説であるということ。完全な善人はいない。だから、性善説に基づく理論ってのは「人間を都合よく解釈したもの」でしかない。これは信用するに値しないよね。
論理的に考えて、人間なんて所詮利己的なものだ、という前提に立った方が賢いでしょ。
他人の都合に左右される信用を信用せず、現金を稼げ!そのために自分を鍛えとけ!
世の中で一番信用できるのは、圧倒的に自分でしょ?自分は自分でコントロールできるし、何者にも依存しなくっていい。つまり、
- 自分で現金を好きなだけ作れる
- 自分で必要なものを調達できる
という状態が一番気楽なわけだよ。信用稼いでどうにか必要なものえるヒマあるなら、さっさと現金たんまり用意しちゃった方が早いでしょ。
なんで価値創出→信用→現金というワンクッション挟むんだろ?価値創出→現金でよくね?と。自分で必要なもの得られるようにすることこそ、本当の「稼ぐ」だと思うけどね。
学びこそ最高の資産。もっと言えばしわっしわの脳。ここを鍛えていつでも稼げるようになったらそれは引き出し限度のないATMを脳内に持ってるのと同じ。
現金よりも、他人からの信用よりも、鍛えまくった脳みそこそ、確実な資産。
今は学ぶのも試すのもヤりほなんだから、いい時代だよな。
— ヒキコモリズム井上@プロ引きこもり (@luckyman0302) 2017年4月22日
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