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「普通じゃない善人」を裁きたくて仕方がない「普通という悪人」の存在

プロ引きこもり@luckyman0302)だ。どうもっすー!

最近読んだコンビニ人間という小説に感動しすぎて、いろんな思いを馳せてしまってる。その描写の中にこんなセリフがある。

「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ。」

このセリフが深すぎて、あれこれ考えてしまう。普通の、善人とされる人間って、普通でないマイノリティーを雑に扱うある意味悪人なんじゃないか?って。普通じゃない善人を裁く普通という悪人。

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「普通」とはなんなのか?

僕らが一般社会で使う、普通って言葉。というか状態?これって一体なんなのか?誰が決めたものなんだろう?

例えば一般社会的にはこんな普通がたくさんある。

  • 学校には行くのが普通
  • 就職してスーツ着て働くのが普通
  • 時間は守るのが常識
  • 年上は無条件で敬うのが礼儀
  • 大人になったら結婚して子育てするのが普通

多くの人は、この普通というよくわからないルールを守って生きている。敷かれたレールというか、規律というかそんなものを守ることが正しいとされている。それが善人だということになる。

この普通からはみでるだけで「問題児」扱いされる

これは僕のエピソードなんだけど、僕がバツイチだと知った瞬間に態度が豹変した人がいた。まるで人でなしかのような視線に変わった。まあ、あからさますぎて笑ったけど。

ただ「ああ、これが人なんだな」とその時に感じた。

自分のルール、または一般的に「普通」と称されるルールからはみ出た人はもはや問題児なんだと。異端児。犯罪者。でもそれって、普通から外れた=悪人とはならないはずなんだけど。

でも、はじめしゃちょーの騒動での総ぶっ叩きも含め、どうやら普通からそれてしまった人はもれなく悪人になるらしい。たとえ迷惑かけたのが一部の人間であれ、問題児となった人は犯罪者で、関係のない「普通と言われる善人たち」はリンチに近い行為をすることが許されるみたい。

普通ではない=異常なんだという異常な洗脳。

「普通」は多数決で決まる

この普通、もとい常識などという概念は、言ってしまえば多数決の原理で決まる。それを守る人が多ければそれが正しい、普通になるってわけだ。で、それを守らない少数派は悪人となる。

人殺しは一般社会では完全悪とされてる異常行動なのに、その異常行動も戦争などの場面では「そうする人が多いから」正しい、普通だとされるむしろそれをしない善人が悪人とされて処罰される。第二次世界大戦の頃の日本なんてそうだったとよく本に書いているよね。

つまり、この普通(善人)というものは、明確な根拠のない、超絶ファジーな根拠で作られてるものってことになる。言ってしまえば小学校で「サッカーとドッジボールどっちやりたいか手を上げて〜!」で多かった方が採用されるのと同じってこと。

普通じゃない善人と、それを裁く普通だと言われる悪人たち

一般的な常識や普通と言われる状態にいない人たちは、決して悪人ではなく、人と違うだけの善人であることが多い。けど、どうやら現代社会では、そういう人たちを普通と言われる人は裁くことができるみたいだ。しかもお咎めなし。これも多数決の原理で「正しい」とされる。

  • 残業しない社員をバカにする
  • 結婚しない人を否定する
  • 働かない人を「社会のゴミ」と呼ぶ
  • 見た目にコンプレックスのある人を稀有な目でみる
  • 複数恋愛してる人を犯罪者扱いする

外から見ると、どっちがおかしいの?と思ってしまう。明らかに、普通と言われる人の方が悪人臭くない?コンビニ人間という小説でもこんな描写がある。

『勘弁してくださいよ……。バイトと無職で、子供作ってどうするんですか。ほんとにやめてください。あんたらみたいな遺伝子残さないでください、それが一番人類のためですんで』

「あ、そうですか」

その腐った遺伝子、寿命まで一人で抱えて、死ぬとき天国に持って行って、この世界には一欠けらも残さないでください、ほんとに』

「なるほど……」

この義妹はなかなか合理的な物の考え方ができる人だ、と感心して頷いた。

『ほんと、あなたと話してると頭がおかしくなりそうで、時間の無駄なんで、もう切っていいですか? あ、お金の件、絶対に伝えといてくださいね!』

これは異常者と呼ばれる古倉さんというコンビニバイトの30代女性と、普通に結婚して働いてる女性の会話。口悪い方が後者ね。

これ見ると、どっちの方が異常者に見えるだろう?僕は後者の女性だった。

  • その腐った遺伝子ははよ処分しろ
  • あなたと話す時間は無駄だしストレス

こういうことを平然といい捨てることができる普通な人って果たして普通なの?と。相手が社会不適合者と呼ばれる人だからと言って、遺伝子が腐ってることにはならない。でもこういう扱いがまかり通るという。事実、現実世界にもこういうのがまかり通っている。でも人権侵害だとかそういうのにはならない。

普通の反対はまた別の普通なのにね。そこに優劣や善悪はないはずだ。

多様性とは一体なんだろう?

多様性が大事と現代では騒がれているけど、それでもやっぱり多様性は受け入れられてない。一度犯罪を犯すともはや人でなし扱いされるし、障害のある人は健常者に理解されないことも多いみたい。働かない生き方だってあるけど、それは許してもらえない。

全然、多様性を受け入れられてないじゃないのと。

きっとこれは、多様性というものを吹聴してる人たちが、普通から外れたことのない人たちだからなんだと思う。ボンボン出身の政治家が、貧民のための政治ができないのと同じ。だって、経験したことないんだから気持ちもクソもわかんないよね?って。

きっとこれは、普通じゃなくなるのがみんな怖いからなんだろう。人と違うことが怖いから、みんな量産型になる。普通であろうとする。大学に量産型女子が多いのも同じ原理。これも結局、普通からはみ出た人は迫害されるイメージがみんな本能的にあるからなんだよね。いじめとか。

肌の色、髪の毛の色、宗教や体つき。みんな絶対同じにはなれないわけだから、そもそも多様性しかないはずで。ライフスタイルだって、みんな好きにする権利があるはずで。二次元の世界だときれいに書かれてるけど現実ではシビア。

でもそういうのが受け入れてもらえる寛容な社会になればいいんだけどね。僕は普通を盾にそうではない人を裁くような普通という名の悪人にはなりたくない。