ぼくはフリーランスとして活動していて、その中でプロブロガーとしての活動もしている。まあブログで食ってるからね。んで、ブログで稼ぐ…なんてことは大したことではないからどうでもいいんだけど、ブログに集中するようになったことで変わったことがひとつある。
それが「人と比べなくなった」ってこと。これは非常に大きな変化だ。
ぼくは昔は人と比べてばかりで消耗していた
とはいえつい最近まで、そうだな2年前くらい?まではもう人と比べては嫉妬したり、人と比べては自信をつけたりとメンタル不安定だった。メンヘラか?って今は思う。
競争社会に身をおいていた…っていうのがでかいんだけど、一番でかい理由は「情報の受信者」だったからってところがある。テレビや雑誌はあんまり見ないんだけど、ネットで同業他社の業績などを調べてはあーだこーだ考える…なんてことをよくやっていた。
当時はそれでも業績上がってたからまあいいんだけど、でもお金が増えれば増えるほど精神がすり減ってるって感じ。全然幸せでもなければおもしろくもなかった。どんなに頑張っても充足感というか、なんかそういうのが感じられなくってね。
人から賞賛されればされるほど嫌になる自分
業績があがれば、お金の匂いがすれば人はなぜか集まってくる。賞賛もされるし、なんかもてはやされる。あれなんなんだろう?笑
ただ、それがすごければすごいほどこう思う。
- この人たちは何狙いなんだろう?
- もし俺が落ちぶれたらどうなる?
- 俺よりすごいこいつもいるのに….
みたいなね。本来の自分じゃない自分に集まってくる人や、賞賛されるからこそ競合のことを意識してしまい心が休まらない。いざうまくいかんくなったとき、どんな風にみられるんだろう?どんだけの人が残るんだろう…?などなどね。
心労が絶えないのだ。人と比べ、比べられる毎日はとてもじゃないけどたのしいものではない。ぼくにとってはそうだった。そしてそういう情報を常に受信してたから、消耗していた。
人に消耗したから、ぼくは東京から田舎へと移住した
そんな感じで人と関わるのがしんどくなった影響で、ぼくは田舎に移住した。
人のいない場所にいけば、誰かに比べられることもないし誰かと比べることも減るだろうと。そういう想いがあった。実際、田舎に移住してからは人と接することはものすごく減ったので、それだけ心にも余裕ができた。
ただでさえ内向的人間なので、それだけ人間関係というのがぼくにとってしんどいものだったということだ。
ネットからの情報が止まらない
リアルで人と関わることは皆無になったけど、今は便利すぎる時代。インターネットに繋げばどんだけでも情報が入ってくる。SNSを開けば嫌でも情報がタイムラインを流れていく。
そうするとまた同じように人と自分を比べてしまう。自分では無理な生活をしている人。キラキラしてる人。なりたい自分になっている人…などなど。そのネットからの情報は、ネットがある限り止められない。いくらミュートにしても、フォロー解除しても見えてしまう。
情報の受信をとめることができず、やはり消耗した自分がそこにはいた。
ネットを見ないように、ブログを始めた。
ブログもネットじゃん!
って思うかもだけど、ブログを書いている間は他のSNSが気にならない。手も意識もブログに向かっているから。これは楽しい!とすぐに思った。頭の中がすっきりするのだ。今まで感じていたモヤモヤも、頭の中の雑念も、すべてこのブログという白い編集画面に打ち込むと、自分の中からなくなっていく感じがする。
そしてそれに集中すると、ノイズと触れる時間も減り、だからこそSNSで人と比べてしまったりする時間も減っていった。
ぼくが去年は荒い記事ばかり書いていたのはきっと頭の中のモヤモヤをすべて吐き出していたのだろう。
発信者になったことで救われた。ネットが楽しくなった。
今まではぼくの中でインターネットは情報収集や、人とコミュニケーションして仕事を円滑に進めるものでしかなかった。だから基本的には人の情報=ノイズに触れてばかりだった。だから非常に疲れるものだった。
でも、ブログを始めて「発信者」として関わるようになってから、ノイズに触れることが少なくなった。そのおかげでインターネットが非常にたのしいものとなった。ぼくはノイズ(笑)を作る側となり、ノイズに共感した人とだけコミュニケーションをとればいい。
それに時間をつかうからノイズに触れなくっていいのだ。ぼくは。こんな幸せなことはない。
書くことで自分の本来の姿がわかってきた
この1年アウトプットしまくった結果、ぼくって一体どんな人なんだろう?というのが自分でわかるようになった。人と会いまくってた時はその場その時で演じまくっていたんだけど、そのときは「俺ってなんだ?」って思いがぬぐえなかった。
でもブログの中で自分と向き合っていたら、自分の本当の姿が見えてきた。
- とことん内向的で
- 正直人間嫌いで
- 家で本とコーヒーさえあれば幸せ
- それ以外はだいぶどうでもいい
この程度の人間だってことが。だから、ぼくは今でも引きこもりと名乗っている。それ以上でも以下でもない。マイナスイメージなんて知らない。
今家を捨てて世界を旅することはもちろんできる
もちろん今から家を捨てて、世界を放浪しながら…なんてライフスタイルは明日からでもできる。いや、1時間後でも可能だ。なんなら今から準備して旅立つことはできる。そうすればきっと「魅せ方」としては今よりステキになって人も集まるだろう。
もし人と比べて「より魅力的になりたい!もっとかっこよくなりたい!」というのを続ける過去の自分だったら、そのためだけにやっていただろう。たぶん、その方がお金も集まってくる。目に見えてイメージができる。
でも、やらない。なぜならそこまでして人と比べてステキだと思われることをしようと思わないからだ。ぼくは本来のぼくのままでいい。人と比べて上下優劣を決める必要なんてないのだ。あ、もちろん単純にやりたくなったらやると思うけど、でもそれを表に出しまくってブランディングってのはしなさそう。
ブログは本当の自分を見つける旅みたいなもの
これはぼくの考え方だけど、そう思う。
世の中の8割の人間は人からの情報=ノイズを受信するだけだ。そしてその中で物事を判断し、自分の立ち位置を判断し、ブレまくる。そして本当の自分がわからずに周りに合わせて、比べて、なぜか消耗していく。人よりもステキな自分でいるためにお金も時間もかけ、人目を気にして生きる。
それがダメだとは思わないけど、単純にしんどそうだよね。
発信する側に回れば、違う世界が待っている
単純に世の中の8割が受信メインなのだとしたら残りの2割は発信者ということになる。そして受信者へ情報、またはノイズを届けるのは発信者だ。発信者は生産者だ。受信者が発信を見てお金を払う構図があるならそれは2割の発信者は儲かるってことになる。
さらにいえば、発信者は「自分」でいることができる。誰かと比べて作った自分ではなく、自分を発信することで自分自身の輪郭を見つけることができる。そしてそれを応援してくれる人が現れることで自己肯定感を得ることだってできる。
そうすると必然的に人と比べることはなくなる。「俺は俺だ」という考えが生まれてくるのだ。そうなると、消耗しないストレスフリーな生活が実現し、そこでさらにお金が生まれたらもっとストレスフリーな生活にできる。
ブログは、発信することで本当の自分を見つけていくためのツールだということだ。きっとぼくはこの先5年、10年と発信を続けていくだろう。なんか心に闇がある人は、ブログび触れてみたらいいと思うよ。
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